Film Director: Tsuchihashi Masahiro

監督のエッセイ

 

アーティストの責務

 

 民主主義とは衆愚政治の事である。日本政府の行動が愚昧だとすれば、それは日本国民の過半数が愚昧だからだ。しかし、現時点で、民主主義より正当性を持つ政治形態が無いとするならば、賢明な少数派が居るとしても、彼らは愚昧な多数派国民の判断に従うしかない。

 政府を動かし、社会を変える為には、国民の過半数の思考と感覚を変えるしかない。「身体の変容」だ。それには長い時間と様々な方法による継続的努力が必要となるだろう。一見無意味に思えるような地道な活動を続けること。そして、より効果的なのは、「思考」に訴えかけるよりは、直接「感覚」に訴えることだ。

 つまりは「芸術」こそ最も有効な「政治的ツール」だという事だ。

 私も含め日本で活動している全ての芸術家は、現在日本人がテロの対象となっている事に責任を負わねばならないだろう。我々の作品が日本国民に働きかけた、又は働きかけなかった結果が、今このように現れているのだ。また、自衛隊が「日本国軍」となるならば、それも我々の責任だ。そのように過半数の国民の「感性」を導いているのだ。

 もちろん、それを望んでいる芸術家も多いだろう。だからこそ、今の世はこのように安直・無批判な作品で溢れているに違いない。しかし私は、これからより深く自戒して作品を創らねばならない。

 批判を承知で書こう。

 「自らを戒めよ!大衆は愚昧である。芸術家は一切迎合してはならない!」

 

JUST A BOY AND A LITTLE GIRL
TRYING TO CHANGE THE WHOLE WIDE WORLD
ISOLATION

....John Ono Lennon

Apr. 10, 2004

 


近藤氏の寄稿

始まりの終わりに (1&2)

ひきこもりと芸術

過去のエッセイ

 

Back / Japanese Index

Home