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Film Director: Tsuchihashi Masahiro 監督のエッセイ
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黄昏の時代を迎えるにあたり・・・
最近の日本国社会意識の急速な保守反動化(と言うより右傾化)と米帝隷属化には驚きを禁じ得ない。かつて役立たず共産党の「負け犬の遠吠え」独自路線に起因して成立した「超権力嗜好」村山内閣で社会党の愚昧さ加減が暴露され、選挙制度が比例代表・小選挙区並立制に改悪された時に、現在の政治状況への移行は既に予期出来てはいたが、さすがにこの短期間での大衆意識の激変には恐れ入る。 過去の例を振り返るなら、今年はワイマール共和国での1933年に相当する重要な年になるだろう。もはや賽は投げられてしまった。後戻りは出来ない。
いつの時代も社会の多数者の思考は単純ではあるが、現代日本の幼児性資本主義が不景気をバネにして爆発的に欲望の強度を増し、充たされない「懐」と「アイデンティティー」が思考力の欠如した頭脳に導かれて「国家」と「伝統」に縋り付く様は、「単純」という形容詞には留まらぬ「白痴的悲哀」を感じさせる。全く持って惨めな国民性だ。 確かに、ブッシュ率る馬鹿国家アメリカ合衆国の、ここ数年にわたる愚行ぶりも目に余るものがある。しかし、まさしくこの「馬鹿大国」に六十余年の6-3-3似非民主主義教育を強要され、「叡智」に関わる脳細胞が完全に海綿化した旧邪馬台国製「BSE大和魂」の彷徨える果ては、(オランダ人が徘徊する喜望峰などでは到底無く、もちろん金融経済軍事国家に制圧された「ダブルバインド聖地」などでもなく) "fascist" スターリンに弄ばれた悲しきクルド人達の亡霊に目見える「三途の川」である事は、まず間違いないだろう。 今後数十年にわたるであろう我が国の(ひいては Pan-American-Earth の)暗黒時代の入り口に立ち、これまでも実現化困難であった「自由精神」のGNPが、今後どれだけ全方位的プレッシャーによって減退するかを想像すると、(加速する地球温暖化にも関わらず)「外れた肋骨」の真裏辺りに凍り付くような「死の悪寒」が先走るのだ。 これから我々の精神が這いずり回りながら擦り抜けて行くであろうこの時代は、後に「魂の氷河期」と呼ばれるに違いない。皆はもう既に覚悟出来ているのだろうか?
******* 私は芸術家であって思想家でも宗教家でも無いので、教条や教義を世に喧伝流布する必要も意欲も無い。しかるに、私が作品で独善的に「美的真理」を探究しようが、「内在する超越」などと戯れ言を放言しようが、それは今後厳しく統制・弾圧される事になるであろう「非国民イデオロギー」や「異端信仰」とは全く無縁の純粋生産行為である。社会が如何に強権的になろうとも、地方都市の片隅でひっそりと芸術活動を続けて行く分には、大して困る事は無いだろう。 また、実年齢以上に体力が低下している私の物理的肉体を鑑みれば、いまさら徴兵に採られて無用の大量殺戮の片棒を担ぐ「生き地獄」に陥ることも、まず有るまいと思われる。(それは今青春を謳歌している若人だけが体験出来る特権だ。)だとすれば、誰もが行為規範の要とする「日常生活」においては、(エンゲル係数は高まれど)それほど大きな変革は起らないかもしれない。 短絡的現世利益だけを目的として生きている凡庸な大衆の一員として、大自由民主日本皇国に教育者として勤労奉仕を行い、僅かながらの御零れを頂戴してサバイブして行くしみったれた様子が、今から、素人自主映画の乱雑なDV映像さながらに目に浮かぶ。 そう、誰も目先の損得勘定以外はどうでもいいのだ。いや、自分が大損していることに気づかなければ、自らの命まで搾り取られたところで構わないのである。ましてや、他者の尊厳・生命がどれほど不当に蹂躙されようとも「そんな事は糞食らえ!」なのだ。既にそこまで我々の頭蓋の中身は海綿化して、あたかも我らが首都の中心についてバルトが語った如く「空虚」だ。 空虚は均質かつ強大で、いかなる肯定的エネルギーの凝縮も「特異化された排他的位相」としてそれ自体の中に相対化されてしまう。戦後六十年、結局「戦争を知らない子供達」が残したものは、現在すべての世代を均しく蝕んでいるこの「空虚」という一言に尽きる。そして、この病がもたらすのは、まったくもってイージーな「戦前への回帰」でしかないのだろうか。 少なくとも、私たち愚昧の徒とは一線を画している賢明な行為者諸氏にだけ、ほんの僅かの期待をしたい。これからの時代は、我々とは比較にならないほど過酷な精神生活を強いられることになるだろう貴方達が、社会の表層の出来事とは全く無関係に、密かに深淵なる真理の泉から水を汲み上げて、不毛な現実に根を下ろそうとしている「明晰なる魂」の生成変化を育み続けん事を真摯に祈ろう。 それは孤独な闘争に違いない。しかし、これだけは言っておこう。貴方達は一人ではない。無力でもない。確かに状況は絶望的であるかもしれないが、絶望する必要は全く無い。真理は、いつでも人の与える「力への意志」によって(虚無からさえも)生まれ出づるのだ。
******* 最近、とある偶然から非常に美しい赤子を抱き上げる機会を得た。その存在は人間であるという以上に、生命の本質である縦横無尽な潜在性(可能性)を生成させる、或る特別な「光輝」を放っていた。それは、アルトーの言う「器官無き身体」そのものの如く「無限を盛り上げる」機会を待ち望んでいた。 果たして、輝けるR・K君は二十年後に如何なる生を営んでいるのであろうか。例えば、かの馬鹿大国の奴隷として、憎悪渦巻くパレスチナの地で(ヘロデ王に殺害された赤子達と同じく)血に塗れているのか、それとも、我らが君主の血族の源たる大陸の朋友国に反共を掲げて進駐しているのか、または・・・ 彼に与えられるであろう厳しい生の重荷を少しでも軽くすべく、微力ながら努力を行う事が我々愚者にも可能だとするならば、それは「正しく観て聴く努力」であろう。確かに私自身いつも、正しい現実を観て、正しい情報を聴き取っているとは到底思えない。いつもどこかでねじ曲げられた「世界像」だけがメディアや隣人から届けられている。 未だに不思議なのは、映画監督としての「映像解析眼」を以って私は、どう観てもボーイングは絶対にペンタゴンへ突入していないと確信しているのだが、そのあまりに陳腐な脚本・撮影・演出・美術について、名のあるメディア、ジャーナリスト、学者、科学者、評論家が誰も声を上げて疑義を表明せず、現在に於いてもその下手なフィクション作品(?)が、ニュース・フッテージとして平然とまかり通ってしまっている事だ。 本当の所は一体どうなっているのだ?どうして誰も何も言わないのか?彼らの目は全て節穴か?それとも他に理由があるのか? もしくは、私の「映画監督力」は、現実以上のリアルな演出でなければ「真実」と認知しない「究極の逸脱」レベルにまで達してしまったのか?? いずれにせよ、この世は落とし穴だらけだ。我々愚者はもうとっくにどこかに片足は突っ込んでいる。身動き取れなくなる前に、よく周りを見渡しておく事だけは心がけよう。
******* 付け加えるに、もしブッシュ氏が先ほどのC級フィクション映画(?)のプロデューサーであるならば、この次同じような映画を制作する折には、是非とも我社に制作を発注してほしいものだ。私が監督すれば、如何にネットを検索しようとも絶対に「疑惑」「陰謀」という単語がヒットしないパーフェクトな作品を仕上げる事は間違いない。 しかも私はインディペンデント作家だ。前作の発注先は米軍だか、CIAだか、FBIだか、アルカイダだか、イスラエルだか知らないが、弊社AOWは、何処よりもロー・バジェット&ハイ・クオリティーで安心して初号試写を迎えられるプロダクション・ラインを保証しよう。 何時でも連絡を待っているよ、ジョージ。手土産はBSE牛肉ではなく、有機アボガドのカリフォルニア・ロールを頼む。実は近頃、私は体内ダイオキシン濃度が上がり過ぎで、中トロはもう食えないのだ・・・ Dec. 12th, 2005
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