A Tsuchihashi Masahiro film

TRUTHS: A STREAM

INTERVIEW  2

 

     INTERVIEW    Main Actress &Actor         

★ まず、この映画は人間そのものを語っていて、その描写が非常に深いですよね、
演じる上で、自分と役の激しい衝突があったのではと思いますが、その点を踏まえて監督の演出に対してどう演じようとしたのでしょう?

馬野 ◇ 僕の役は監督の世界観のある過程の一段階である気がしていて、ワークショップ(撮影前の)の中で彼が語ることをできる限り吸収して、彼の世界観を理解しようとしていました。監督の世界に入り込んで行こうという感じでした。決して簡単ではありませんでしたが。だから自分との衝突は全然ありませんでした。僕は吸収するだけだから。

山下◇ 私もそうです。すべて筋が通っているから、抵抗することなく受け入れられましたね。

馬野◇ 逆に受け入れないと続けられない、ということでもあったかな。

★受け入れすぎて重い!ということはなかったのですか?

馬野◇ うーん、でも自分が吸収したものだけしか出せないから・・とはいいつつ、後は、監督 が要求することを絶対なんとかやってやろう、ある意味戦いでした。監督になめられないように (笑)与えられた壁をクリアしてやろうという気持ちを持って演じていました。

山下◇ 私もそういう気持ちを強く持っていました。それと私はいつもいい子にしていなきゃい けないというプレッシャーみたいなものをずっと私生活で感じていて、役と同じような境遇で、 同時に女優としての壁を感じていた時期でもあって、映画の中で響子が乗り越えていくことと自 分自身が何かを乗り越えていくことに共通する感覚を強く持ちながら役を演じ、自分を大きくし ようとすることで精一杯でした。

馬野◇ それと、撮影をしていくうちに、峻一のスタイルが出来てきて、その中で自分がやって いる芝居は、端から見ていてとんでもないのではないか、という不安がいつもありました。ナチ ュラルな芝居を求められるのだけど、峻一の芝居をつめた分、ナチュラルかナチュラルでないか わからなくなってしまったんです。でも監督を信頼するしかないから、求められるままやってい ましたけれど。でも、作品が完成して、まとまったものを何度か繰り返し見ることによって何と かそうした危惧がなくなっていきました。  

山下◇ 監督は一切芝居をすることを許さない演出だったのですが、出来上がった作品を見て、ようやく響子の役が存在する人に見えてきたという感じでしたね。  

★なるほど、つまりお2人は、それぞれの役を追い求めながら演じていたと?  

山下◇ 私は、響子の境遇に共感していたから、はまっていたという感じでしょうか。  

馬野◇ そうですね。(撮影中は)もう、やるしかない、と。  

★馬野さんは、先ほど演技に不安を持っていたとおっしゃいましたが、峻一にあ る程度距離をおいてしまうといた感じだったのでしょうか?  

馬野◇ 峻一に対して共感は持っていました。彼が生きることに真剣だという部分で、純粋なま での真剣さというところにはすごく共感していたということは確かです。その点に関しては、疑 問はありませんでした。共感と吸収、それが演技の柱になっていてそこで得たものを出していく ということでしたね。でも、細かい客観的なことまでは制御し切れなくて、演技の結果に対する 不安はあったということなんです。  

★客観的に、お2人が演じた響子、峻一を見て、それぞれどういう人だったのだ ろうと思いますか?そして彼らが行き着いた先はなんだったと思いますか。

馬野山下◇ 難しいことを聞きますね。(苦笑)  

山下◇ なんでしょう。メッセージ性の強い役だったですね。誰もが体験する挫折感、不安とか、 を乗り越える、人間の生きる方向性みたいなものの代弁者だったと思います。行動はかなり突飛 でしたが・・(笑)

馬野◇ 2人ともすごく純粋だったんですよ。モチベーションはただ一つ。現れた行動は、生命 が生きる本当の目的を見出そうとするための純粋な行動だったんですよね。自分が苦しい思いを しても、自分の生きる目的を捜し求めた遍歴なんです。その研ぎ澄まされた目的がある前方を見 ていたらある究極の行動に出ていた、という感じでしょうか。その瞬間瞬間は前を見ているだけ で、周りはどうなっているということは考えないんです。  

山下◇ 純粋、そうですね。響子は、人間の中に対して期待感を持っていたんですよね。峻一についていったのは、人間の生とか死とか、人間が純粋に持つものを見直して、なぜ生きているのかということが発見できるのではないか、本来人間が持つものを実際に確かめたいという気持ちが強く生じたのではないかなと思います。  

★ そして、彼らが得たものとは何だったのでしょう?最後、お2人それぞれが3時間余りの後、ようやく見せた、解放された表情が印象的でした。  

山下◇ すべての可能性は自分の中にある、という台詞がありますが、その言葉に集約されています。彼らが持ってる悩みが解決したのではなくて、解決するための迷いがなくなったということですね。  

馬野◇ そうですね。あなたがそう見えたのなら、それはこの映画の成功ですね。

★では撮影のことについてお聞きしたいのですが、撮影中つらかったシーンは?  

馬野◇ やはり前半部でしょうか。「死ぬ」決意することは大変ですからね。僕自身の想像の域は出ていなかったかも知れないけど、死ぬ気持ちで演じ続けることはつらいものがありました。  

山下◇ そう、そういうテンションを保つ、ということには、かなり苦しかったですね。突然現場で演じることってできないですから、普段から生とか死とか考えてなくてはならなくて。          

★何もかも終わらせる、「自殺」ではなく「自死」というニュアンスで死ぬということを、日常的なイメージとは逆の感覚で、つまり肯定していなくてはならなかったということは、かなり厳しい撮影だったと思います。響子は死にも可能性を持っていたけれど、峻一はそれで終わり、リミットだったわけですから・・・  

馬野◇ そうですね。肯定的に死というものがある状況は、本当につらかった。楽なシーンはま ったくなかったですね。  

山下◇ でも、山での撮影によって、極寒とか自然のパワーようなものに直接出会うことよって、どんどん感覚が研ぎ澄まされたような気がしましたね。          

★響子らしい発言ですね。では、最後にこの映画について思うことは?  

山下◇ 何回見てもまた見たくなるような不思議な映画です。ベルリン(映画祭)でこの映画は言葉の壁を越えていることを感じました。監督の台詞も音だという意図が伝わっていたんですね。その奥深い感覚で観客の方それぞれがそれぞれに作品を受け止められる作品だと思います。  

馬野◇ 役者っていうはどういうものかという存在意義を学べたように思います。この映画を体験して、世の中はどう見えてくるか、それをどう捉えるか、人々がいろいろな考えを持っているということが改めて客観的に実感できました。本当に、見てくださる方それぞれがさまざまな考えを抱ける映画ですね。  

  *Interviewer 碓井涼子(映像研究家)


Back / Japanese Index
Home