A Tsuchihashi Masahiro film

TRUTHS: A STREAM

製作秘話

 

それぞれの限界を超えて…。 なぜ、最後までやり続けたのか…

                            プロデューサー 吉川 晶子

 「1997年10月12日-長野県入笠山1850mの頂上付近。時刻は、深夜3:00すぎ。気温は、既に氷点下10度を指している。予定の撮影は未だ終了していない。撮影部チーフの赤いヤッケは、白く凍り付き、暖をとるために用意されたウイスキーのお湯割りは、ワンシーンのOKがでる頃には、オンザロックと化していた。役者の口元は撮影の合間には、ホカロンで暖められなければ、自由にセリフを言うことさえ困難な状態にあった。
 
  広大な湿原の遠く端のほうで、野生の鹿の鳴き声が響く。寒さなど眼中にないほど集中している監督以下、今晩のスタッフ15人は、黙々と自分の仕事を行っている。「いつ終わるのか?」などということは、4時間ぐらい前から誰も考えもしなくなったようだ…。」
 
 これは撮影52日目の撮影日誌である。 製作年数4年。総撮影日数140日間。 「TRUTHS: A STREAM」製作にあたっては、数々の想像を絶するようなドラマが展開した。 それは、さながら「がんばれ!ベア−ズ」の物語のようであった。

  現場のスタッフは、監督、撮影部以外は、全員が映画製作未経験の学生、サラリーマン、OLなどの総勢40人ほどのボランティアスタッフたちで構成されていた。カチンコの打ち方を知らず、香盤表の作り方を知らず、映画のフィルムが何種類あるのかも知らず、役者のセリフをどう録音すればいいかも知らず、衣裳の順番を把握せず…そんな出発であった。

  それに対し監督は、執拗なまでに要求が高く、この状況によって妥協をしたりは決してしない。予定どうり撮影するだけでも大変な騒ぎなのに、現場でどんどんプランが変わり、小道具や、衣裳が現場にないことなど日常茶飯事であった。

  監督の異常なまでのディテールへのこだわりは、セメント袋の汚し、皺の1つにまで及び(こんな例えも、こだわりの1/10000にしかすぎないが…)、それは結局、映画にとって勿論、必要なことであった訳だが、「映画づくりにちょっと参加してみようかな。」というムードのスタッフたちにとっては、非常な重責であったと思う。

  25kgの砂利袋を担いで、何キロもある山道を幾度も往復する助監督。4tトラックに山盛りの美術セットを積み、夜中に中央高速を走る製作担当。奈良の撮影現場を仮眠だけで日帰りしたしたこともあったし、雪原のロケハンで遭難しそうになった助監督もいた。

  現場で、朝起きたら、スタッフが誰もいなくなっていても文句の言えないような状況だった。「ボランティアスタッフにも責任はある!」とはいっても、私には彼らを無理矢理拘束する大義名分も手段もなかった。 「自分で選んで、ここにいる。」という彼らの決意(?)に頼るしかなかった訳だが、誰一人、逃亡することなく、現場で必死に頑張ってくれた。

  なぜ逃亡しなかったのか?浪花節は嫌いだし、ヒューマニズムにも懐疑心を持っているので、私なりの解釈(?)をすると、私を含めて、役者、ボランティアスタッフたちにとって、この映画に関わることは、限界を超えてしまうことだった。途中でそのことに気付きながら、恐れをなして辞めなかったのは、「負けたくない。」ということだったのではないかと思う。

  自分にか?監督にか?…何に負けたくないかは、それぞれ違う対象が有るだろうが、そういうことだったのではないかと思う。この作品は、センチメンタルな感情を排した、クールな出来になっているが、製作現場では泥臭い、人間同士の葛藤が多々あったことを明記しておきたい。

  しかしそれは相反するものではなくて、アンビバレントに深くつながっているものだと、かなり客観的に結論することにする。 そして映画のラストでいわれているように、これが「はじまり」になることを、恐れをなしつつも期待する!       

                                                  16/07/2000

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