A Tsuchihashi Masahiro film

TRUTHS: A STREAM

映像上の特徴

 

  この映画は、失われつつある「映画のエッセンス」をもう一度取り戻そうと試みています。そのために、今の劇場公開映画の殆どが使っていない手法を、様々な困難を乗り越えて現実化しています。失われた知識、技術を再び取り戻し、さらに、悪しき慣習を打破する新たな方法論を生み出すことに挑戦してきたのです。この意味でこの映画はまさしく「映画のための映画」であると言えるかもしれません。

 

白黒ネガとカラーネガ撮影・カラーポジ焼き

 白黒は写真の原点です。それはすなわち活動写真である映画の原点でもあります。白黒写真を見るとき、人は無意識のうちに色彩を頭の中で想像して見ています。空や水や人の肌の色…あらゆるものが色彩を伴ったリアリティーとして見る者によって知覚され認識されているのです。これはイメージを人間の実体の中に現実化するという、ひとつの創造行為に他なりません。我々はこのような製作者と観衆の共同作業による創造が映画の本質であると考えます。それゆえ白黒で映画を作らねばならなかったのです。

 これに対し、カラーは観衆の意識と身体に直接作用し、人が実在する現象野を認識させ、さらに、様々な形象の豊かさ(と同時に限界性)を提示していきます。我々はこの作用も映画には必要だと考えます。よって、カラーの部分も必要になってきます。  現時点で、白黒とカラーが複雑に入り交じる映画はカラーポジで製作するしか方法がありません。(両方のポジを使う場合はフィルムの巻分けをしなければならないのです。)それゆえ、現在、一般に白黒とカラーのある映画は、カラーで撮影し、後に加工処理してモノトーンに変換し、白黒としてカラーポジに焼きつけています。しかし我々は映画の原点である白黒にこだわり、白黒ネガを使うことにしました。それはまた、白黒ならではのフィルターワ−クを可能にするためでもありました。

 しかし、この白黒ネガ撮影カラーポジ焼きという手法がとんでもなく大変な作業となったのです。  ネガからポジを焼く段階で、明るさや色合いを調整する作業を「タイミング」と言い、映画の最終的な出来映えを左右する重要なポイントとなっています。一般にカラーネガからカラーポジ、白黒ネガから白黒ポジの焼きに関しては、撮影が適正でなかったとしても、かなり大きな範囲で直すことが出来ます。「絞り」についてなら、上下3絞り位ならば修正可能領域です。しかし、白黒ネガからカラーポジの場合は、1/2絞りアンダー、2/3絞りオーバーが修正の限界となってしまいます。つまり、撮影時のミスが許されないということです。ほんの少しの誤差が命取りになるのです。

 このような難しい撮影を行うのですが、実際問題として、白黒ネガを使っての撮影というのはここ20年来日本ではほとんど行われておらず(たまにある白黒映画もその多くはカラーで撮影してモノクロに変換したものです。)現像所も撮影部も、十分な経験も詳しいデータもありませんでした。そのなかで我々は撮影、現像、プリントのテストを入念に行い、撮影に臨んだのですが、それでもやはり色々と問題が起こりました。

 その理由として、白黒ネガの実効感度やフィルム特性が作られた時期によって大きく違っていたという事と、テストの数値上で割り出した絞りでは、実際の見た目の「絵」の映りとして最適なものではなかった(光の量で感度が変わるように映る)ということなどが挙げられます。それゆえ撮影部はそれぞれのフィルムの感度と特性を確認した上で、撮影する「絵」の明部と暗部のバランスを考慮に入れて、絞りをライトメーターの数値から勘で動かして決めるという非常にデリケートな撮り方をしなければなりませんでした。通常ならば「とんで」しまって見えないはずだという恐ろしい数値の絞りを敢えてする、というようなことです。 この困難な撮影をさらに難しくして撮影部、タイミングマンに負担をかけたのが無照明撮影という方法論です。

 

 

無照明撮影と現像時間操作

 映画に照明は必需品です。光がなければフィルムは露光しません。しかし照明のあり方が本当に表現として芸術的に成立している映画が果たしてどれだけあるでしょうか。我々は現在世界中で行われている無批判な照明の使用法を受け入れずに、本当に本質的である光だけを使って撮影することを試みました。すなわち、照明機材を一切使わずに撮影するということです。

  1. 昼間の屋外では自然光だけで撮り、レフも一切使用しない。
  2. 夜間の屋外はランタンや焚き火など実際に「絵」に登場する光だけを使う。
  3. 昼間の室内は窓からの自然光を使い、 どうしても足りない時は上記の室内灯などを併用する。
  4. 夜間の室内は室内灯やスタンドライトなど実際にその部屋にあるものだけを使う。
    (例外は光の無いはずの場所と、美術セットの構造上どうしても照明が必要な箇所のみ。)

 このような撮影により、自然で深みのある強い陰影のついた、非常に絵画的な映像が出来上がりました。なぜか濁って汚い映像が多いと観客に批判されている日本映画の中で、これほど緊張感があり美的に完成された映像を、全編にわたって提示している映画はかってなかったのではないでしょうか。その自然さと深さは俳優たちの演技にまで反映しているほどです。

 無照明撮影は素晴らしい結果を遺しましたが、撮影部、タイミングマンにとっては、大きな試練でした。十分な光が無い状態、光源の強さが安定しない状態、陰影がつきすぎてしまう状態、限度以上に強い光と完全につぶれている部分が同時にひとつの「絵」の中にある状態など、様々に難しいショットがありました。

 この難関を突破するためには我々はかつてどの映画も行ったことのない現像方法を試みることにしました。それは全てのカットそれぞれについて、最も適正な露光状態になるよう、現像時間を20秒単位で変化させて調整するという方法です。フィルムというものは、現像液に長く漬ければそれだけ感度が上がり、絵はどんどん明るくなります。(もちろん粒子も荒くなりますが。)我々は16mmから35mmへのブローアップ(その過程でフィルムのコントラストが極端に強くなることは避けられない。)を前提にしていたので元々基本現像時間を通常より短く設定していましたが、テストピースを現像して試した上でタイミングマンとの協議を行い、限界まで短い時間から、限界まで長い時間までのうちで最も適正な時間を選択し、逐次現像時間を変えて処理してもらうというほんとうに手間のかかる作業を、全てのカットに対して行ったのです。

 30年近くも映画に携わってきた職人たちに、このような違う方法を受け入れてもらうのはなかなか難しい事でしたが、1年の歳月をかけ説得し、多くの本編撮影フィルムをNGにした上で、やっと彼らの理解を勝ち取ることができたのです。

 我々はその他にも、自動現像機の限界以上に長く現像するという冒険や、1カットの途中で現像時間を変えていくという冒険もおこなています。この映画は低予算ながら、かつてどの映画も行ったことのない様々なフィルム・プロセスに挑戦し、映画の地平を拡張することに貢献したといえるでしょう。

 

予期せぬフィルム製造中止事件

 上記のように手のかかる綿密な撮影・現像を行い、非常に美しい映像のネガを作りあげたのですが、最終の公開用プリント段階の直前に、それまで使っていた柔らかい色調の質の良いポジ・フィルムが生産中止となり、世界中にコントラストの強い極端な色合いのフィルムしか現存しなくなってしまったのです。以前のデータが全て使えなくなった我々は、新たに試行錯誤を繰り返し、数カ月のテストを経て、最初の予定と全く違うやり方で何とかフィルムを完成させたのです。ポジ・フィルムの限界により高感度フィルムで撮影されたカットは、粒子が荒くコントラストの強い現像になっているのは残念ですが、現段階ではこれが最良の結果だと断言できるものになっています。  将来的に、人々の映像に対する意識が変化し、再び柔らかい色調のフィルムが生産されることになれば、我々はそのフィルムを使ってプリントをやり直し、最初の意図どうりの完全版プリントをお見せしたいと想っております。

槌橋雅博

(了)

下記の「有限会社ライト・ブレーン」HP「右脳発信」ページに、撮影監督の中本憲政氏による詳細な技術記録の解説ページがあります。

 

「作品の技術レポートを以下の場所にのせました。今の既成映画に無い 撮影の手法の内実を報告しています。どこまでも作品の表現にこだわった槌橋監督の映画マジックの報告です。」

                                               撮影 中本憲政

http://www.right-brain.co.jp/majorworks/index_j.html

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